911陰謀論 #48 では、抑圧的な政策ついて概要を書きました。
ここからはその内容について書いていきたいと思います。
はじめは自由への攻撃です。
9/11後の自決と市民の自由に対する攻撃
ブッシュ政権が攻撃の犯人と推定する者たちの動機を説明するため、そして侵略のさまざまな形を正当化するための両方で、9/11攻撃を使ったことにより、「自由」という言葉は9/11攻撃以来かつてないほどに陳腐なものとなりました。恐怖との戦争での自由と題する2001年9月20日の演説の中で、G・W・ブッシュは言いました。
9月11日に、自由の敵は私たちの国に対する戦争行為を犯しました。
...
そして、夜は異なる世界、自由それ自体が攻撃を受けている世界に、落ちました。
...
彼らは私たちの自由を嫌っています。
...
これは、進歩、多元主義、寛容、そして自由を信じる全ての人の戦いです。
...
自由と恐怖は戦争にあります。人間の自由の進歩は、-- ... --現在私たちと共存しています。
...
自由に対して、そしてアメリカ人のためのセキュリティに対して行われている闘争に、私は譲らないし、休まないし、折れることもないでしょう。
ここで大統領は、自由という言葉を無視した多大な扱いを得ています。加害者と推定された者たちが犯罪を犯した物理的な証拠が存在しないため、オサマ・ビン・ラディンを「有罪と宣言する」ケースの全体が「テロリストの過激ネットワーク」が「私たちの自由を憎んでいる」という考えにかかっています。ブッシュ大統領は「自由のための闘争」としてテロとの戦争を売りつけています。
テロとの戦争のための口実が不正なのと同様に、その口実は定められた目標も不正です。テロとの戦争は正確には自由との戦争と呼ばれるでしょう。確かに、ナフィーズ・アーメッドによって書かれた本の名前でもあります。
911陰謀論 #50 につづく
参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/attacks/freedom.html
0 件のコメント:
コメントを投稿