911陰謀論 #28 ブッシュ大統領の1日

911陰謀論 #27 では、ペンタゴンの追突とシャンクスビルの墜落について公式見解や報告されている事実をみてみました。

次は2001年9月11日のブッシュ大統領の1日を見てみます。

エマ・T・ブッカー小学校の授業
ジョージ・W・ブッシュは9月11日にはフロリダ州サラソタにあるエマ・T・ブッカー小学校の2年生の授業に出席するという重要な任務があり、そこで The Pet Goat(ペットのヤギ)という本を読んでいました。表向きには彼の教育プログラムを推進していました。教室には9時02分に入りましたが、その時には既に11便のノースタワーのクラッシュを知っていました。

ブッシュは後ほど次のように語っています。
私は中に入るのを待っている時に教室の外で座っていました。そして私はテレビで飛行機がタワーにぶつかるのをはっきりと見ました。びっくりしてこのように言いました。「ひどいパイロットだ」と。「恐ろしい事故だったに違いない」と。しかしそこから追い出されてしまった。それについて考える時間はほとんどなかった。

ノースタワーの衝突時の映像はもっと後になるまでテレビでは放送されなかったので、ブッシュの説明が真実であれば、シークレットサービスはノースタワーの最初の衝突が行われた時には秘密のカメラからビデオにアクセスできたことを意味しています。

9時06分、ブッシュが教室の前に座っていた時に、大統領補佐官アンドリュー・カードはブッシュに近づき、2秒にも満たない言葉をささやき伝えました。2機目がタワーに衝突したことを伝えたことになっています。ブッシュは一瞬混乱したように見えました。詳細を求めることはしませんでした。座ったまま、少なくとも8分以上子供たちと読書を続け、9時16分までそこに居続けました。
有名なこの写真のシーンです。
後にカードが語ったところによると「二機目の飛行機が、第二棟に突入しました。アメリカは攻撃されています。」と伝えました。

教室を出た後、ブッシュは学校に残って予定されたスピーチを行いました。9時29分に始められました。
今日、我々は国家の悲劇がありました。この国でテロ攻撃が起き、二つの飛行機が世界貿易センターに激突しました。

そして9時33分ごろ、彼の乗った車はサラソタ空港に向けて出発しました。


空港へ
空港へ向かう途中、9時38分に77便がペンタゴンに衝突しました。ブッシュは電話でこのことを知らされました。車は9時43分ごろに空港に到着し、エアフォースワン近くに止まりました。
ブッシュ大統領はこの時チェイニーと電話をし、おそらく国内のすべてのフライトを着陸するよう指示しました(※1)。連邦航空局(FAA)は9時45分ごろに国内の航空システムをシャットダウンしました。

※1
MSNBC / CNN / ニューヨーク・タイムズ / ニュースデイ / ワシントン・ポスト。ただし、USA TodayはFAAの管理者ベン・スリニーが独断で決定したと報道しています。


エアフォースワン
エアフォースワンは9時55分または9時57分のいずれかで離陸しました。
軍事戦闘機の護衛はありませんでした。
カール・ローブは、エアフォースワンで、飛行機が離陸する前に危険な脅威があることを知らされていました。「急いで上昇し、高い高度にしようとしました。なぜならエアフォースワンにはある脅威があったからです。エアフォースワンはターゲットであると宣言されていました。」


あまりに遅い撃墜命令
彼は空中で再びチェイニーと会話し、チェイニーはブッシュに「ハイジャックされた飛行機がいたら撃墜する指示をする」よう進言しました。ブッシュは「もちろんだ」と返事をしました。
93便は10時3分にシャンクスビルに墜落しました。9時16分にはハイジャックされていたことを北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)は知っていましたが、戦闘機はおそらくスクランブルされていませんでした。


エアフォースワンの行先
ブッカー小学校のコメントでは、ブッシュ大統領はすぐにワシントンに戻ると伝えましたが、離陸してすぐ、彼はチェイニー副大統領とシークレットサービスとで首都に飛ぶのが安全かどうか議論し始めました。議論の結論がでるまで飛行機はサラソタ上空に留まりました。およそ10時35分まで、エアフォースワンはどこにも行かず、大きくゆっくりと円を描くように飛行機は飛んでいました。数分後に議論は終わり、飛行機はワシントンではなく、代わりにルイジアナ州へ向かいました。


戦闘機のエスコート
ブッシュがブッカー小学校の教室を去った時間が明確には分からないように、いつエアフォースワンに戦闘機が着いたかはほとんど言及されていません。あるソースによれば午前10時近くにはフロリダ州ジャクソンビル近くの基地からのF-16戦闘機の護衛が参加しました。しかし、一か月後、チェイニーの10時32分の電話でブッシュにエアフォースワンの護衛機がたどり着くには40分から90分(つまり正午ごろ)はかかるだろうと伝えたことが報告されています。エアフォースワンは、午前10時55分ごろに回避行動を取ったとき、何の戦闘機の護衛もなかったことが知られています。別のソースでは、最初の2機のF-16機はフロリダ州ではなく、テキサス州の空軍基地から、シェーン・ブラザートンとランディ・ロバーツが操縦していたとのことです。いずれにせよはっきりしているのは、11時30分には6機の戦闘機がエアフォースワンを護衛していました。


バークスデール空軍基地
エアフォースワンはおよそ11時45分にルイジアナ州シュリーブポート近くのバークスデール空軍基地に着陸しました。バークスデールに着陸した公式の理由はブッシュが詳しい声明をする必要があるというものでしたが、次の様に考える方が合理的です。大統領がどこに移動するべきかの同意がなく、空中にいるのも地上にいるのも等しく安全だと考えられていたということです。皮肉なことに、護衛の戦闘機がたどり着いてすぐにブッシュの飛行機は着陸することとなりました。

サラソタにいる時とバークスデールとでは護衛のレベルが異なっていました。サラソタではほぼ30分間、周知された場所に保護されていない状態でいました。バークスデールはその時点は未知の場所であり、飛行機が着陸してすぐに自動操縦を持つ装甲機器や兵士たちに囲まれました。レポーターたちはその場所を伝えることがないよう厳格な命令のもと、残りました。

ブッシュ大統領は基地の安全な場所に移動しました。12時30分ごろに、ブッシュは短いスピーチをテープに収めました。テープは午後1時20分にテレビで放送されました。彼はまた1時間30分を電話に費やし、チェイニーや他の者たちと次に行くべきところについて話し合っていました。シークレットサービスはワシントンの状況は依然として安全でないと感じました。ブッシュはカール・ローブにできるだけ早く家に帰りたいと語りました。ローブはそれはまだ不安定ですと返事を返しました。ブッシュはワシントンよりも早くにたどり着けるネブラスカ州オファットにあるアメリカ戦略コマンドセンターに行くことになりました。


オファット空軍基地
エアフォースワンは1時30分ごろにオファット空軍基地に向けてバークスデールを出発しました。エアフォースワンの側近はアリ・フライシャー、アンドリュー・カード、カール・ローブ、ダン・バートレット、およびゴードン・ジョンローのような数人の必須のスタッフと5人の記者のみに絞られました。飛行中、ブッシュはホワイトハウスのシチュエーションルームとチェイニー副大統領と連続的なコンタクトを取っていました。

エアフォースワンは3時前にオファットに到着しました。3時6分にブッシュはアメリカ戦略司令地下司令センターのセキュリティを通過し、核爆発にも耐えるようデザインされた地下のバンカーに入りました。

そこで彼はチェイニー副大統領、国家安全保障顧問ライス、国防長官ラムズフェルド、副国務長官リチャード・アーミテージ、CIA長官テネット、運輸長官ノーマン・ミネタ、およびその他の人と電話会議を行いました。電話会議は1時間ほど行われました。ライスはミーティング中のことを次のように語っています。テネットはブッシュに「私はアルカイダだと確信しています。私たちはアセスメントをしていて、アルカイダのにおいがします。」

この時、人々はブッシュ大統領からの次の公式声明を期待していました。ホワイトハウスのスタッフはブッシュがオファットのバンカーから国家に向けて演説するために準備をしていましたが、ブッシュはそうではなくワシントンに戻ることを決めました。


ワシントンに戻って
エアフォースワンはオファットを4時30分ごろに出発し、2機のF15戦闘機と1機のF16戦闘機に護衛されて6時34分にアンドリュース空軍基地に到着しました。そしてブッシュはマリンワンヘリコプターでホワイトハウスに向かい、7時前に到着しました。

ブッシュは8時30分に全国のテレビ演説を行い、約5分スピーチしました。後にブッシュドクトリンと呼ばれるもので、彼は「私たちはこのような行動を起こしたテロリストたちと彼らをかくまう者たちの区別をしないでしょう。」と述べました。
9時頃、ブッシュは国家安全保障会議を行い、続いてキーアドバイザーの小さいグループでの会議をおよそ半時間行いました。ブッシュと彼のアドバイザーは既にビンラディンが攻撃の背後にいると決めていました。CIA長官テネットはブッシュにアルカイダとアフガニスタンのタリバンが本質的に同一であると伝えました。

11時30分ごろに就寝する前、ブッシュは日記に次のように書きました。「21世紀の真珠湾が今日起きました。。。私たちはそれがオサマ・ビン・ラディンだと考えています。」


911陰謀論 #29 につづく

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