次は911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点を見てみます。
攻撃前の予兆
攻撃前に起きた多数のイベントは、多くの人々が攻撃の予備知識を持っていたことを示しています。
- 攻撃前に大量のプット・オプションの購入があり、攻撃後の株価の下落を予想しました。
- アメリカン航空とユナイテッド航空の株式のプット/コール比は通常のそれぞれ5倍と25倍に増加しました。
- 政府関係者や幹部は攻撃対象を避けました。
- 国防総省当局者は9月10日にフライト計画をキャンセルしました。
- サンフランシスコ市長ウィリー・ブラウンは9月10日に飛行機に乗らないよう警告を受けました。
- スコットランドヤード(ロンドン警視庁)はサルマン・ラシュディが飛行機に乗るのを妨害しました。
- インスタント・メッセージング・サービスのオディゴの2人の従業員はWTCの最初の攻撃が起こる2時間前に電子メールで警告を受けました。
- 9月11日に投資家ウォーレン・バフェットは、オファット空軍基地でWTCで働いていた経営幹部達との朝食会を主催しました。ここはブッシュ大統領がその日避難した場所になっています。
- アシュクロフト司法長官は2001年の夏に民間航空機で飛行することをやめました。
ハイジャックのシナリオ
攻撃のシナリオはハイジャック犯と疑われる人の一部にとって不合理であり、その実行は彼らの行動に照らし合わして理解できないです。93便の奪取を除いてはアラブ人が911の攻撃に関与したという証拠は乏しいか全くありません。
- 遠隔の空港から飛来しコースを大きく外れて進んでいくという攻撃計画。攻撃計画者はほとんど間違いなく破滅(失敗)に向かう危険にさらされていました。防空システムは正常に正常に動作していました。
- WTCに追突した11便と175便の出発空港は、ニューヨークシティ近くの他の空港ではなく、ボストンローガン国際空港でした。これはそれぞれのフライトを乗っ取ってから約40分の間迎撃の危険にさらされて飛行することになります。
- ペンタゴンに追突した77便はワシントンDCに戻るために旋回する前は中西部に向けて飛行していました。ペンタゴンを攻撃すると疑われる前1時間23分の間空中にいました。防空システムがほとんど機能していなかったとしても、迎撃の機会を十分に提供したでしょう。
- シャンクスビルに墜落した93便はワシントンDCに向かって旋回する前は中西部に向けて飛行していました。もし首都にたどり着いていたとしたら、1時間半以上空中にいたことになります。この計画で迎撃を避けることのできる可能性は標準対応手順においてはゼロと言い切れるでしょう。
- 攻撃に先立って行われたハイジャック犯の挙動は、そのような攻撃を遂行するのに必要とされたスキルや規律に対して矛盾があります。
- モハメド・アタ容疑者はかろうじて11便を乗っ取りました。おそらく彼は何年もかけて計画したイベントのキーとなるフライトです。
- ハイジャックの容疑者達は、イスラム原理主義者として描かれているにも関わらず、トップレスバーでパーティーをし、アルコールを飲みました。彼らのそのようなふるまいは、控えめに言ったとしても、驚くべきことです。
- ハイジャック容疑者たちがその消え去る運命のフライトに乗っていたという確かな証拠がなく、何人かは関与していなかったという実質的な証拠があります。
- 4つのフライトが飛び立った3つの空港で19人のハイジャック犯が乗り込みましたが、77便のハイジャック犯容疑者を写すビデオを除いては公開されていません。
- ハイジャック犯容疑者のうち少なくとも6人は攻撃後も生存しています。
- 4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックが進行していることについて航空交通管制への無線連絡を行いませんでした。
- 4つの飛行機の乗組員たちは誰も4桁のハイジャックコードを送信しませんでした。
- ハイジャック犯の遺体が衝突現場で特定されたという証拠は公開されていません。
- フライト・データ・レコーダー(FDRs)やコックピット・ボイス・レコーダー(CVRs)といったブラックボッスの中身は4年以上も公開されませんでした。
- 11便の添乗員ベティ・オングからの4分半の電話のみが公開されました。武器で差したことが述べられていましたが、アラブ人のハイジャック犯が乗っていたことを示す証拠は全く残されていませんでした。
- ハイジャック犯容疑者がナイフで4機ものジェット機を奪い取り、その後小さなターゲットにジェット機を操縦して成功させるのは奇跡です。
- 何人かのパイロットはベトナム退役軍人であったにも関わらず、4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックを止めることができませんでした。
- ハイジャック容疑者たちは誰もパイロットとしての経験はほとんどありませんでした。にもかかわらず、驚異的な精度で3つの建物に衝突しました。
軍事的対応の欠如
誤った航路を飛行する国内線を通常10分から20分の間でインターセプトするにも関わらず、9月11日に乗っ取られた飛行機は1時間以上も干渉を受けることなく空中をさまよっていました。
- 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のタイムラインによれば、連邦航空局(FAA)が逸脱した飛行機を報告したのは不可解な遅延のあとでした。
- FAAが11便の通信断絶と飛行計画からの逸脱を報告するのに18分を要しました。
- FAAが77便の飛行計画からの逸脱を報告するのに39分を要しました。
- 迎撃機は長い遅延のあと遠くの基地からスクランブルされました。
- 11便や175便がニューヨークに向かっているという事実にも関わらず、近くのラ・ガーディアやバージニア州のラングレーからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
- NORADが8時38分にハイジャックされたという公式な知らせを受けたにもかかわらず、9時37分に衝突された後まで、ペンタゴン近くのアンドリューからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
- いったん発進したあと、飛行機のインターセプトの失敗を約束するかのように、迎撃機は最高速とは言えない速度で飛びました。
- 2機のF15が11便を追いかけてオーティス空軍基地からスクランブルしましたが、最高速度1875mphにも関わらず平均速度447mphで飛びました。
- 2機のF16が首都を守るためにラングレーからスクランブルしましたが、最高速度1500mphにも関わらず平均速度410.5mphで飛びました。
- 近くの巡回中の軍用機は飛行機をインターセプトするために再配置されませんでした。マンハッタンに遅れてたどり着いた軍用機は首都を守るために送られませんでした。
- ロングアイランドの海岸上を飛んでいた2機のF15は、2機目のタワーへの衝突が起きる後まで、マンハッタンに再配置されませんでした。
- マンハッタンを防衛するためにオーティス空軍基地からスクランブルした2機のF15は、いったんニューヨークを超えたら9.6分で首都にたどり着けるはずでした。まだペンタゴンが衝突を受けるまで34分ありました。
世界貿易センターの破壊
9月11日に、3つの高層ビルは完全に破壊されました。説明によれば火災による構造的な崩壊でした。火災や爆弾で鉄筋のビルが崩壊したことは今までに一度としてありません。
- 第7ビルは9月11日遅くに崩壊しました。飛行機の衝突は受けていませんでした。
- 第7ビルは推定では火災が理由で完全に崩壊しました。今までに鉄筋のビルが火災で完全に崩壊したことはありませんし、火災での部分崩壊でさえありません。第7ビルはツインタワーから350フィート離れて立つ、過剰設計された47階建ての鉄筋高層ビルです。公式の証拠書類では9月11日に起きた火災は小規模なものでした。
- 第7ビルは完全な垂直落下で崩壊しました。そのそばわずか60フィート離れたベライゾンや郵便局のビルにはほんのわずかなダメージしか与えませんでした。
- 第7ビルのがれきはほとんど粉々になって崩壊しました。鉄筋のビルが粉々になる理由なく崩れ落ちました。
- 第7ビルには1500万ドルの緊急司令センターを持っていました。しかし、それを使用する代わりに、市長ジュリアーニは9月11日の攻撃が始まるとすぐその場しのぎで作った司令センターにチームを避難させました。
- 緊急指令センターは爆弾にも耐えうる避難所として建設されたにもかかわらず、建物の残りの部分と一緒に破壊されました。
- 第7ビルの残骸は速やかに取り除かれ、鉄筋はリサイクルされ、現場には証拠をまったく残さずまた証拠物も極めて限定的にしか残されませんでした。がれきには誰も埋まっておらず小さな破片が隣接する道路を邪魔していないと誰もが考えたにもかかわらず、除去作業は非常に速やかに行われました。
- ツインタワーは爆発して粉塵と粉々の鉄くずになりました。制御解体以外では鉄筋構造物とは考えられない矛盾のあるふるまいでした。
- サウスタワーはノースタワーの17分後にノースタワーよりも損傷の少ない方法で衝突を受けました。深刻な火災もありませんでしたが、ノースタワーの29分前に崩壊しました。
- サウスタワーの飛行機の衝突は中心を外れていたので、ノースタワーとは異なり、根幹構造に大きなダメージは与えられていませんでした。しかし、サウスタワーの方が早くに崩壊しました。
- ノースタワーの火災の方がサウスタワーに比べてはるかに深刻でした。しかし、サウスタワーの方が先に崩壊しました。
- サウスタワーの火災による煙は、崩壊の時点まで、だんだんと暗くなっていきました。
- 光っている溶融材料が崩壊の数分前にサウスタワーから流れ落ちていました。
- 消防士はサウスタワーの衝突場所にたどり着き、火は制御できると説明しました。
- どちらのタワーも崩壊の最初の数秒で衝突場所の上下の領域で崩れ出しました。
- どちらのタワーもまっすぐ下に崩れ落ちました。これは最も抵抗を受ける道筋です。このふるまいは垂直構造の自発的な崩壊では決して見られない現象です。
- どちらのタワーの崩壊も制御解体以外では決して見られない特徴を見せました。雷のような発砲現象、その境界線を取り巻く目に見える爆発、規則正しい間隔を持って噴出するダスト、そして大量のダストが突然にして起こりました。
- どちらのタワーも外側に向けて爆発し、こなごなに粉砕されました。崩壊のパターンは通常の制御解体よりもはるかに破壊的ですが、この結果は爆発物のような追加のエネルギーなく行われたことになっています。
- ツインタワーの破壊はそれほどまでに完璧で矛盾のないものでした。がれきは発掘作業の様々な段階で数百もの写真に収められましたが、識別不能となっていました。
- 通常知られる崩壊または火災現場とは完全に異なり、強烈な熱ががれきに残り続けました。
- ツインタワーから残された残骸からはテルミット反応、ナノサーマイトの残留物が含まれていることが示されました。
ペンタゴンの攻撃
ペンタゴンへの攻撃は、テロリストの第一目標は守られるだろうという期待、テロリストは単純操作で正面に突っ込むだろうという期待をもろくも覆し、極度に正確な空中操作を行って背面に衝突しました。
- ペンタゴン-世界最高水準の軍事的機能の中心-は、防御アクションによる防衛なく、警告を増幅させた後衝突されました。
- 9時37分のストライクは、初めてハイジャックの兆候を見せてから1時間以上、攻撃が進行中と確信されたサウスタワーのストライクの後34分経ってから、行われました。
- ペンタゴンはアンドリュー空軍基地から11マイル以内にあり、9月11日時点で2機の戦闘準備の整った戦闘機がいたことが明らかとなっています。
- 攻撃機は首都に近づくときレーダーでモニタリングされていました。
- 77便のパイロットをしたとされているハーニー・ハンジュールはタスクが実行できるレベルに至っていませんでした。
- ペンタゴンへのらせん軌道を描き突入するアプローチは、熟練した航空管制官であれば軍用ジェット機だと考えるような操作技術でした。最後は木の高さで飛行し、庭園の物体をはぎとり、建物の1階に飛行機は衝突しました。熟練したパイロットは人間の操縦でこのようなことが実行できたかどうか疑問視しています。
- ハーニー・ハンジュールは航空学校のインストラクターから「不十分」とみなされ、シングルエンジンの飛行機のレンタルを拒否されました。
- 当局は組織的に証拠を没収または破壊しました。
- 近隣の企業のビデオ録画は攻撃の直後にFBIに回収され、それ以来彼らが現れることはありませんでした。
- 周囲を監視するすべてのセキュリティカメラのうち、たった2つのビデオ映像のみがペンタゴンから公開されました。どちらも明らかに攻撃機は示されていません。
- 調査によれば、10月まで事故現場へのアクセスは許されませんでした。
- クラッシュは設計されたものですか?
- 目撃者たちはコルダイトの匂いを報告しました。
- 目撃者にはジェット機はペンタゴンの正面にたどり着く前に爆発したと報告したものもいました。
- 757機の翼の端や尾が衝突した正面部では少しばかりしかえぐられていませんでした。これらの部分は正面にたどり着く前に爆発によって無くなっていたということですか?
死亡者数
この悲惨な状況を通じての攻撃の死亡者数は、攻撃の選択やタイミングといったさまざまな観点か考えれば、想定されるよりもはるかに低い数となっています。
- 4便すべてのフライトとも異常に空いていました。
- 11便、175便、77便、93便はそれぞれ51%、31%、20%、16%の占有率となっていました。
- タワーは、1回目はほとんどの人々が到着する前に攻撃され、また、2回目はほとんどの人が逃げるのに十分な時間を持って衝突されました。
- 11便は8時46分にノースタワーに衝突した時、世界貿易センタービルは通常の日中の占有率の半分以下でした。
- 最初に攻撃されたタワーは最上階からちょうど15階下に衝突され、閉じ込められたのは大半が95階から110階にいた人たちでした。
- 次に攻撃されたタワーは最上階からたったの30階下に衝突され、飛行機はビルの芯をはずし、衝突した階よりも上にいた人も避難することができました。1機目が衝突を受けてから17分の時間があったので、2つ目のタワーの人たちはエレベーターを使うことで多数の人が避難しました。
- ペンタゴンには2万人が建物の中にいましたが、死亡したのは125人でした。
- ペンタゴンの中の攻撃を受けた箇所は、西ブロックで、改装中でした。したがって低い占有率でした。
- ペンタゴン労働者のうち、いわゆる高官と言われる人は、死亡しませんでした。
偶然の重なったサービス不能状態
攻撃に先立って行われた多数の決定事項や当日のイベントが「無能論」をもっともらしいものにしています。
- いくつかの戦闘の実践演習が2001年9月11日に行われていました。
- 北部警戒オペレーションが行われ、北東セクターの防空リソースは北のカナダやアラスカに再配置されました。
- ハイジャックをシミュレーションし、ライブのレーダー「インジェクト」を使った、戦士警戒・戦士防衛オペレーションが、軍事および民間の飛行機モニタリングを混乱させた可能性があります。
- 国家偵察局は、衛星や空中の物体を監視しているのだが、攻撃が展開された時には誰もいませんでした。というのも、飛行機がタワーにクラッシュする軍事訓練を行っていたからです。
- トライポッドⅡのバイオ攻撃の演習が2001年9月12日に予定されており、結果として攻撃前に米連邦緊急事態管理局(FEMA)がマンハッタンに配置されていました。
- プロシージャーの変更のために、パイロットや軍事司令官がハイジャックに反応する能力を制限されていました。
- 軍の命令により、司令官はハイジャックに反応する自治権をはく奪されました。
- 連邦航空局(FAA)は攻撃の2か月前に民間航空パイロットが銃火器を所有することを禁止しました。
- 政府高官たちは攻撃が終わるまで対応不可能な状態になっていました。
- ジョージ・W・ブッシュは攻撃のニュースがテレビで世界中に流れたあと約1時間半までブッカー小学校という公共の場所に留まって、ペットのヤギの本を2年生達と読み、それから記者会見を開きました。
- 統合参謀本部の会長代理は、ほとんどペンタゴンが衝突されるという時まで、上院議員マックス・クレランドとの会議に留まっていました。
- 准将モンタギュー・ウィンフィールドは、2001年9月11日8時30分に、国立軍事指揮センター(NMCC)のオペレーション副所長として、海軍大尉チャールズ・J・レイディグ・ジュニアを監督に就任させ、攻撃が終わったあと彼を安心させました。
政府の対応
アメリカの民間人を守るために軍の歴史の中で最悪の失敗、そして歴史の中でおそらく最悪のエンジニアリングの失敗があったにもかかわらず、責任の所在をはっきりさせずまた正直な調査も行われませんでした。
- 防空における前例のない大きな失敗について誰も非難されることがありませんでした。
- 9月11日に統合参謀本部副議長だったリチャード・マイヤーズは、防空の失敗に関する質問に意味のある答えを提供することができなかったのにもかかわらず、9月13日に議長を確約されました。
- 9月11日に北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の司令官だったリチャード・エバーハートは、新しく創設されたアメリカ北方軍(NORTHCOM)の司令官に昇進しました。
- NORADのプレスリリースは、2001年9月11日にインターセプターがスクランブル発進しなかったと高官によって早々に声明があったことを抗議しました。
- NORADのあいまいなタイムラインは説明になっておらずはるかにたくさんの疑問を生じさせましたが、当局は十分な責任所在を要求することはしませんでした。
- 9/11委員会はNORADの以前のタイムラインや軍当局が行った委員会への証言とは矛盾する新しいタイムラインの作成を進めました。
- WTC1、2、7の完全な崩壊は、公式なストーリーによれば、歴史的な3つの大きなエンジニアリングの失敗でした。どのように彼らは調査したのでしょうか?
- 米連邦緊急事態管理局(FEMA)は調査機関ではないにもかかわらず、崩壊を調査する唯一の権限を与えられました。
- FEMAが集結した調査チームは、無償のボランティアで構成されていました。
- 調査者はグランド・ゼロへのアクセスを許可されませんでした。
- 調査者は建物の設計図を提供されませんでした。
- FEMAのレポートは、崩壊の原因を「現時点においては不明のまま」と述べました。(報告書が公開される時までに、鉄筋は完全に処分されていました)第7ビルが100年のエンジニアリング経験と矛盾する方法で崩壊したという事実は、歴史上の最大かつ最悪の構造的な欠陥があったとされています。
- 9/11委員会のレポートは第7ビルの崩壊について言及しませんでした。
- 9/11委員会のレポートはツインタワーのコア構造の存在を否定しました。
- ツインタワーの崩壊に関する米国標準技術局(NIST)のレポートは、それぞれのタワーの「あり得る崩壊順序」を提供することを目的としていますが、崩壊開始前にそのタイムラインを切り捨てています。
- NISTは「鉄が硫化反応を起こして蒸発した」という以前の調査結果を言及することも避けました。その時ニューヨーク・タイムズは「最も深い謎が調査によって解明された」と記述していました。
- 第7ビル崩壊に関するNISTの最終レポートは、深刻な構造的な損傷とディーゼル燃料の火災という以前の公式の要求を無視し、熱膨張が原因でシングルビームが接続部をゆるんで破壊しそれによって引き起こされた不安定な建物のチェーン反応によってまっすぐに崩れ落ちて崩壊したとしました。まったくサポートする証拠のない完全に作り話の故障メカニズムでした。
- NISTは爆発の残留物をテストすることができなかったため不誠実な議論を提示し、その考えがいかに誤っているかを指摘する公式のコメントや回答に直接反応した後でされもそれを繰り返しました。
911陰謀論 #33 につづく
参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/analysis/anomalies.html
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