911陰謀論 #34 911の民間航空機の対応

911陰謀論 #33 では、911テロ前に多数の準備作業が行われているのを見てみました。

次は911の民間航空機の対応をまとめます。当日の対応と空港の閉鎖、その後の再開についてです。


9月11日の動き
民間航空でのシャットダウンは、2001年9月11日の朝に発行されました。

9:17FAAはニューヨークエリア内の5つすべての空港をシャットダウンします。
9:26FAAは国内の「グランド・ストップ」を発行し、すべての民間航空機は離陸できなくなります。
9:45FAAはアメリカにいるすべての民間航空機を着陸します。
10:30FAAはすべての国内に向かう大西洋横断飛行をカナダへ転送するよう報告します。
10:39FAAはすべてのアメリカの空港のすべてのオペレーションをクローズします。
0:04ロサンゼルス国際空港は立ち退かされます。
0:06サンフランシスコ空港は立ち退かされます。

FAAによって全国の飛行機の飛行禁止命令が発行された9:45の時点では、4000機以上の飛行機が飛んでいました。これらの飛行機のほとんどは本来の目的とはかけ離れた空港に到着しなければなりませんでした。これは、民間航空の拡張シャットダウンと組み合わせて、数十万の旅行者を帰宅できずに立ち往生させました。


9月11日以降の動き
アメリカの航空システムは、2001年9月13日に全国の飛行禁止が解除された時は単なる商用機やいくつかの農業便のみで、正常な状態を取り戻すのに数週間かかりました。

2001/9/1311時にFAAは空港を開き、商用便はケースバイケースで再開することを認めます。
2001/9/14FAAは、一般の航空便がまだ飛行禁止の状態かどうかをめぐる混乱の結果として、その日の朝に離陸したパイロットを起訴することについては関心がないことを発表します。
2001/9/14長官ミネタは次のように発表します。
効果的な今日、そして一般的な航空-個人で所有されて操縦される飛行機からなる航空の重要セグメント-は、 計器飛行方式のもとで操縦する飛行機の再開が許可されます。
2001/9/16FAAが発表します。
有視界方式(VFE)のもとでの飛行機は許可されていないことに注意してください。9月16日にFAAは、有視界方式のもとで操縦する飛行機の順次再開の全体アセスメントの一環として、すべての農業便の一時的な停止を命令しました。農業航空便は9月13日にサービスを再開するようクリアされていました。
2001/9/19FAAが発表します。
VFE飛行は一部制限を持つものの再開します。クラスB空域内、上、下でのいかなる飛行およびVFR飛行訓練の飛行が含まれません。
2001/9/21FAAは、ほとんどの飛行訓練活動の再開を可能にします。

プライベート便は9月14日の前に禁止されていたという事実にもかかわらず、 プライベートジェットは13日にサウジ国民乗せてを米国内を飛びました。


事故後のセキュリティ対策

一般の飛行機利用者はそれほど幸運ではありませんでした。攻撃の3日後に空港が開かれた時、新しいセキュリティ対策が施行されました。飛行機を奪取するのに使われそうなもの、ナイフ、編み針、爪切り、アイラッシュカーラーさえも、探し出すために長い列で待機させられました。受託手荷物を乗客とマッチングさせる機能のような、効果的なテロリスト対策は実装されませんでした。

攻撃は外国からの飛行機旅行者を悩ませる口実としても利用されました。特に2003年にアメリカのイラク侵攻を支援しなかった国に対して行われました。2003年12月24日に、パリからロサンゼルスに向かう3つのエール・フランス便がキャンセルされました。「テロ攻撃が差し迫っている兆候を傍受した」と引用するパリの米国大使館の要請でした。同じころにUS-VISTと呼ばれるプログラムがアナウンスされました。国際便を扱うすべてのアメリカの115空港で1月5日に開始するようスケジュールされたそのプログラムによって、アメリカに入国するすべての海外旅行者は指紋と顔写真をするようになりました。

国内の飛行機旅行者の嫌がらせは、「プライベート・スクリーニング」と呼ばれ、衣類を脱いで調査されました。


911陰謀論 #35 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/civil.html
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/index.html

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